心が豊かになる条件
昨日は6時間ほどの睡眠だったが目覚めは良くさわやかな1日になりそうな感じで起床。
月末と言うことも合わせて、請求、支払い、諸々の仕事が重なり、気分的にかなり緊張していたのが
9月1日と言う、たった月が替わっただけで見えない緊張が磨ぎ解されるのであるから人間の心理
とは、摩訶不思議な物である。
実質は、昨日書いたブログで人間同士の心の通わせ方をふと思い出した事から来るある種の刺激が
脳に働いたのかもしれないが。
ここの国は階層の差が極端な国です。日本とは比べ物になりません。日本はよく言われる
皆中級階層国ですが、ここは、凄いやつは凄い、ダメはダメと極端であるので地位、名誉、金に絡んだ
問題が多発する国でもあります。
何が言いたいかというと、昨日の続きになってしまいますが、皆が幸福になる為にはどうすればいいの
だろうか、心が豊かになるのはどうすればいいのだろうと言う、根本的で、難しい問題を解決しなければ
いけないのであろうと、つじつまが合ってない様に思うがここに今日の趣旨を持って来てしまうので
ある。
答えは、人間がしっかりと創られていれば解決することだろうと思う。
幸せとは何かと言う問いかけに、富、地位、名誉に絡む答えが一義的に出てくるが、これは目に見える
即物的な幸福感であって、それ以上の比較対象物が登場してしまうと知足的価値観がまた炎上してしまい
不幸の種になってしまうのである。これは合理、理知主義がもたらした現代社会が発展している
非なる副産物であるような気がしてならない。幸せになる為には絶対的価値観が必要なので有ろうと
思う。天風先生もおっしゃられているが、絶対的価値観が出来ない人は幸せになれないと言い切って
いる。尊く、強く、正しく、清く生きる。心と体を一体にしよと。
非常に難しいことでは有るがその通りのことだと思う。
人間とは人の間と書く様に一人では生きられない。さすれば他人を幸せにしてこそ本当の自分の幸せも
得られるのだと。人の喜びを我が喜びとせよと。
誠に尊い言葉である。弊社の社是も基本的な考え方は全く一緒である。
よって、まだまだ訓練されていない自分に気が付いた8月で有った様な気がする。
なんだか自分に戒めを書いているようなブログになってしまったが、今月はこの根本的な部分を
自分のテーマとして日々精進し、自分もさらに発展していけたらこれまたいい事だと思う。